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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)4709号 判決

原告

北原槇枝

ほか一名

被告

同和火災海上保険株式会社

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告らに対しそれぞれ金二五〇万円およびこれに対する昭和四九年一〇月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  主文第一、二項と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二請求原因

一  保険契約

訴外石塚吉一(以下吉一という。)は昭和四七年六月二八日被告との間で、同訴外人が所有し、自己のため運行の用に供する小型乗用自動車(滋五や二六八一号)について、保険期間昭和四七年六月二八日から昭和四九年六月二八日までとの自動車損害賠償責任保険契約(証明書番号F八四六〇三五号)を締結した。

二  事故の発生

訴外北原誠一(以下誠一という。)は次の交通事故(以下本件事故という。)により死亡した。

1  日時 昭和四七年八月一七日午前三時一〇分頃

2  場所 福井県鯖江市下司町二字野口国道八号線道路上

3  事故車 小型乗用自動車(滋五や二六八一号)

運転者 石塚俊治(以下俊治という。)

4  被害車 普通貨物自動車

運転者 誠一

5  態様 俊治は南から北に向けて事故車(以下俊治車という。)を運転して走行中、対向車の進行に注意を奪われてハンドルを左に切りすぎ、自車の左前部を前記国道のガードレールの支柱に衝突させたため、同車は一回転して国道中央付近に前部を西側に向けてようやく停止した。そして、俊治車に後続して進行してきた普通貨物自動車が俊治車に進路を妨害されて一旦停止したところ、これに後続進行してきた訴外入江義彦運転の大型貨物自動車(神戸一く四〇三五号、以下入江車という。)もまた一旦停止した。その後しばらくして右普通貨物自動車は俊治車を回避して進行し、さらに入江車に後続して進行してきた数台の車も入江車および俊治車を回避して北方に進行していつたが、その際、入江車の後方から北に向けて進行してきた誠一の運転する被害車(以下誠一車という。)が停止している入江車に追突し、誠一は死亡するに至つた。

三  吉一の責任

(運行供用者責任。自賠法三条)

吉一は俊治車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

四  損害

1  死亡

誠一は本件事故により右骨盤・右膝蓋・右下腿・右上腕・右手指骨折・左下腿・左足・左手挫創等の傷害を蒙り、このため不可逆性外傷性兼失血性シヨツクにより事故から約一時間四〇分後に死亡した。

2  誠一の損害額

(一) 逸失利益 二二一四万五七六〇円

誠一は昭和四六年六月中旬関西運輸株式会社に運転手として勤務し、一か月一〇万円の収入を得ていたが、その後昭和四七年七月二七日から自己の姉の夫が経営する運送業「会所商店」に給与月額一二万円との約定で運転手として勤務していたものであり、事故当時二二歳であつた。従つて、事故がなければ、五〇・一八年間生存し、その間の四一年間稼働し、右同程度の収入を得ることができたところ、生活費は三〇パーセントと考えられるから、これを差引いたうえ、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、二二一四万五七六〇円となる。

(二) 慰藉料 四〇〇万円

3  原告らの損害額

(一) 葬祭費 各一五万円

原告槇枝は誠一の父、原告智恵子は同人の母であるところ、原告らは誠一の葬祭費として各一五万円を支出した。

五  原告らの相続

誠一の父である原告槇枝および誠一の母である原告智恵子は誠一の死亡により同人の本件損害賠償請求権を二分の一宛相続承継した。

六  結論

よつて、原告らは自賠法一六条一項に基づき、被告に対し保険金額の限度においてそれぞれ二五〇万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四九年一〇月一七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する被告の答弁

一  請求原因一の事実は認める。

二  同二のうち原告らの主張する日時、場所で誠一車が交通事故に遭遇し、このため同人が死亡したことおよび本件事故の態様が原告らの主張するとおりであること(ただし、俊治車の直後の後続車が普通貨物自動車であるとの点は除く。)は認めるが、俊治車の運行と本件事故との間に因果関係があることおよび俊治車の直後の後続車が普通貨物自動車であることは否認する。

誠一は俊治車の約六メートル後方で尾燈等を点灯して停車していた入江車に全くの前方不注視によつて追突したのであつて、俊治車には接触すらしていないのであるから、俊治車の運行と本件事故とは何ら関係がない。

三  同三の事実は認める。

四  同四1の事実は認める。

五  同四2のうち誠一が事故当時二二歳であつたことは認めるが、その余の事実は不知。

六  同六の事実は不知。

第四被告の抗弁

本件事故は誠一の一方的過失によつて発生したもので、俊治には何ら過失がなかつたものであり、かつ俊治車には構造上の欠陥または機能の障害はなかつたから、吉一には損害賠償責任がなく、従つて被告においても本件損害賠償額を支払う義務がない。

即ち、俊治は俊治車が故障したため、同車を道路端に移動することができなかつたので、現場を通過した車に警察官への通報を依頼すると共に警察官が現場に到着するまでの間、付近に居合わせた人の応援も得て可能な限り現場の交通整理をしていたものであつて、精一杯の事故処理、安全措置をとつていたものである。しかるに俊治車が停止してからせいぜい一〇分以内に、尾燈を点灯して停止していた入江車に、誠一が居眠り等による前方不注視によつて追突したものであつて、誠一としては極めて容易に本件事故を避けえた筈である。

第五被告の抗弁に対する原告らの答弁

被告の抗弁事実は否認する。

俊治は自己の過失により俊治車をガードレールに衝突させ、道路中央付近に停止させて後続車および対向車の進行を妨害し、しかも自己は何らの傷害も受けることなく全く健全な身体的、精神的状態にあつたのであるから、本件国道のように深夜貨物自動車が頻繁に通行する道路上においてその中央付近に俊治車を放置すれば当然後続車または対向車による事故発生を予見できたにも拘らず、南行自動車の通行にのみ目を奪われ、後続の北行自動車の交通整理をするなどして事故発生を回避すべき措置を講ずることなく、漫然と俊治車を放置し、その結果本件事故を惹起したものである。

第六証拠関係〔略〕

理由

一  保険契約

請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二  事故の発生

請求原因二のうち原告らの主張する日時、場所で誠一車が交通事故に遭遇し、このため同人が死亡したことおよび本件事故の態様が原告らの主張するとおりであること(ただし、俊治車の直後の後続車が普通貨物自動車であるとの点は除く。)は当事者間に争いがない。

ところで、被告は俊治車の運行と本件事故発生との間の因果関係の存在を否認するので、以下右因果関係があるかどうかの点について判断する。

成立に争いがない甲第四号証の五ないし九、証人入江義彦、同石塚俊治の各証言(ただし、後記措信しない部分を除く。)を総合すると、

1  本件事故現場は南北に通じる幅員九メートルの国道八号線上であるところ、右道路はセンターラインにより北行車線(幅員四・四メートル)と南行車線(幅員四・六メートル)とに区分されており、また道路の両側(東西)には約一メートルの路肩が設置され、さらにその両側は田になつていること、

2  事故現場付近は直線かつ平坦な道路で、後記俊治車が停止した地点付近から北方面に向かつて右にカーブしており、南方面から北方面に向かつて現場付近に差掛かる車両運転者にとつて、道路の地形上、現場付近の見通しは良好であること、

3  前記カーブの存在を示すため、カーブに沿つて街燈がほぼ等間隔に設置されているものの、本件事故現場には街燈等照明となるべきものも存せず、事故当時の現場付近は暗かつたこと、

4  本件事故現場付近の交通量は、日中は多いが、事故当時は深夜であるため、主として長距離を走行する貨物自動車等が通行する程度で比較的少なかつたこと、

5  俊治は南から北に向けて俊治車(小型乗用自動車)を運転して走行中、前記カーブの手前付近で過失により自車を国道脇のガードレール(道路西側路肩上に存する。)の支柱に衝突させたため、同車は道路中央付近に前部を西側に向けて停止した(以下これを第一事故ともいう。)のであるが、右停止位置の詳細は、車首をやや西南向きにし、センターラインを跨いで南北両車線に及んでおり、左後部がセンターラインより東に一・四メートル越えていると共に右前部先端が道路西端から一・四メートルの位置にあつたこと、

6  俊治車は前記衝突のため前輪がパンクして動けなくなつたので、俊治は車外に出て同所を通過する車に俊治車の同乗者(木村寛)を病院に運ぶことや警察官への事故の報告を依頼するなどしていたこと、

7  他方、右俊治車の停止後暫らくして南方面から北方面に向けて走行してきた普通貨物自動車が俊治車に進路を妨害されて同車手前で一時停止し、さらにその後続車である入江車も続いて北行車線内に一時停止したものであるところ、入江車は鉄材約八トンを積載し、後部には尾燈を点灯しており、また同車最後部と俊治車との間は約二九メートルの距離があつたこと、

8  その後間もなく右普通貨物自動車は俊治車を回避して北方に進行したが、入江車は前方の俊治車の様子を窺つていたところ、入江車の後続車数台が入江車および俊治車を回避してその東側を北方に向けて通過しはじめ、これに伴い北方から南方に向かう車両が停滞しはじめたため、俊治は懐中電燈で南行車両の交通整理をするに至つたこと、

9  前記入江車の運転者である入江は自車の停止後三分間位前記のとおり俊治車の様子を窺つていたが、同車近くでこれを見分して自車の通過の安全性を確認するため、自車のサイドブレーキを引いたうえ、ドアーを開けて降車しようとしたところ、同車の後方から北進してきた誠一車(右前部)が入江車(左後部)に強い衝撃で追突し、同車を約一メートル前方に押し出したが、その際誠一車の右前部が大破するに至り、また衝突地点直前には同車の左右前輪によるスリツプ痕(右一メートル、左〇・九メートル)が残された(以下右追突事故を第二事故ともいう。)こと、

10  誠一車の右第二事故は俊治車の第一事故による停止時から約八分後、入江車の停止時から約三分後に発生したものであること、

以上の各事実を認めることができ、証人入江義彦、同石塚俊治の各証言中右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らしたやすく措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。右認定の各事実によれば、第一事故がなければ入江車の停止および第二事故が発生しなかつたということは一応いいうるが、しかし他方前認定の各事実に、運輸省令により自動車の保安基準として尾燈は夜間後方一五〇メートル(昭和四八年七月運輸省第二三号による一部改正前による。)の距離から点灯を確認できる性能を有すべきものと定められていたものであつて、入江車の尾燈も右性能を有していたものと推認しうること、誠一車は事故当時前照燈を点灯しており、かつ右前照燈も前同様運輸省令により定められていた夜間前方一〇〇メートル(滅光または照射方向を下向きに変換したときは三〇メートル。ただし前記運輸省第二三号による一部改正前による。)先の障害物を確認しうる性能を有していたものと推認しうることを合わせ考慮すると、誠一としては、深夜で現場付近が暗かつたとはいえ、通常の前方注視をしていれば極めて容易に入江車が停止しているのを認知して本件追突を避けえた事情にあつたものということができるところ、入江車の他の後続車と異なり一人誠一車のみが入江車に追突するに至つたのは、結局誠一の居眠り運転ないしこれに近い重大な前方不注視の結果によるものと認定せざるをえず、このことは現場に残されたスリツプ痕の形状、誠一車の破損状況、サイドブレーキを引いて停止していた入江車が一メートルも前に押し出されたこと等の諸点に徴し、首肯しうるところである。そのうえ、本件の如き見通しが良好で、かつ夜間のため交通量も比較的少い一般国道上において、夜間停止車両があれば、同車が尾燈を点灯していても、一般に同車への追突事故が発生する蓋然性が高いものと断ずることはできないから、本件において俊治に入江車への追突事故の発生までも予見する可能性を要求することは酷に過ぎるものといわなければならない。そうすると、前記第一事故があつたことにより通常前記第二事故が発生する蓋然性が高いものとは到底いいえないから、結局第一事故と第二事故との間には相当因果関係を欠くものといわざるをえない。従つて、俊治車の運行によつて誠一車の追突による誠一の死亡が惹起されたものということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三  結論

よつて、爾余の諸点について判断するまでもなく、原告らの被告に対する本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大田黒昔生)

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